「責任」という言葉に関する疑問。

せき‐にん【責任】

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての―がある」「―を果たす」

2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の―をとる」「―転嫁」

3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。


辞書には上のように書いてある。
書いていることについて、おかしなところはないが、不思議なところはある。
この2だけを抜き出して考えてみたい。

自分のした事の結果について責めを負うこと。

①自分のした事であること
②結果について責めを負うこと

この2点が共に成立する場合、それは「責任」となる。
(自分のしたことと結果に因果関係があること、という条件も必要になるが、ここではこれは考慮しない)

では片方だけが成立する場合は?
②だけが成立する場合は「濡れ衣」という言葉がある。これは良いとして、①だけが成立する場合に関する適当な言葉が思い当たらない。
①だけが該当する、というのはカルネアデスの板のような緊急避難や、正当防衛などを指すわけではない。これらは外見的には「自分のした事」であっても、実質的には選択の余地がなかった行為であり、そこに自由意志がないからだ。自由意志がないのなら、「原因がある」ことにはあっても「責任がある」ことにはならない。
例えば「自分の家の塀に泥棒よけのために有刺鉄線を張っていたら、目の悪い泥棒が塀を越えようとして大怪我した」という状況。
これが「自分のした事であり、結果について責めを負う必要がないこと」である。
これに該当する言葉が思い当たらない。



もし、ぴったりの言葉があるのならそれを使えばいいと思うのだが、そうでなければ私はこの①が成立する状況、すなわち“自分が選択したこと”と“結果”に因果関係があることだけを「責任」と呼び、責めを負う必要があるか否かは別の言葉で呼ぶのが良いのではないかと思う。




私が「責任」という言葉の辞書的定義について不思議に思うのは、責任があるかどうか、が
①自分がしたことと結果との間に因果関係はあるか
②自分の意思でしたことか
③結果について責めを負うべきか否か

の3つの要素から成り立っている点だ。
①は比較的意見が割れることは少ないが、②と③においては意見が分かれる。
辞書の意味が間違っている、などと大胆なことを言うつもりはない。だが、争点が2つもある言葉など、扱いづらいことこの上ない。
言葉は道具であり、扱いづらい道具には価値がないと私は思う。


ならばいっそのこと、③の要素を切り捨て、争点を1つにしぼったほうが、言葉としては使い勝手が良いと思うのだが。
どうでしょう?