【uumin3さんに対する私信のようなもの】
疲れましたね 笑
トラバで議論にからんでいった自分が疲れたのだから、議論に巻き込まれたuumin3さんがもっと疲れているのは分かります。
ただ、多少気になるところがあるので、できるだけ手短にそのあたりをコメントしておきます。


まず、書いておきたいのはuumin3さんの「責任」観と、私の「責任」観は似ている、ということです。
「基本的には説得的に問える責任はまず法的責任の範囲に置き、そしてそれ以上の道義的責任は各自の選択に任すべき」というスタンスは、私が何度か書いた「責任という言葉は“義務”の部分と、それ以外をわけたほうがいい」という考え方と、おそらく同根です。


1つめ。


uumin3さんの定義における「道義的責任」とは、「負うべき義務に対する主観的評価」のことです。
これは一般的な意味での「責任」とは関係のない概念であり、
「道義的責任は、どんな場合でも誰にとっても等しく自明というものではないので、普遍的ではないため、客観的に決められる義務というものはない」
という論理は
「りんごの価値は、どんな場合でも誰にとっても等しく自明というものではないので、普遍的ではないため、客観的に決められる値段はない」

という論理と同じ詭弁です。



2つめ。

基本的には説得的に問える責任はまず法的責任の範囲に置き、そしてそれ以上の道義的責任は各自の選択に任すべきものという感じですね。
この線で考えますと、「募金をしないことによって、我々はアフガニスタンの人を見殺しにしたことになる」という論は「責任を他者に問う筋合いのものではない」のです。

法的責任を問えない行為に関しては、義務を問えない。つまり責任はない。
そういうことでしょうか?
この場合、「内輪の論理に規制されて問われる責任」というものには「義務はない」という考え方なのでしょうか?



手短に、と書いたのに長くなってすみません。